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お金を稼いでも稼いでも、楽になれないよー
お金との距離感の問題かな?
お金に囚われずに生きているご婦人の話を読んでみない?
あなたが働いているのは何のためでしょうか?生活にお金が必要だから?
ですが、世界にはお金を全く使わずに生活している人たちもいます。
もし、お金がないと生活できなくなる、と恐怖を感じて生きているのであれば、本書のご婦人のように、お金がなくても生活できることを知ってみてください。
お金を使わない生活だからこそ、得られるものもたくさんありますよ。
※本書は日本では絶版となっていますので、中古本を購入するか図書館で借りて読んでください。英語が読める方は、こちらの本が同じ内容と思われますので、こちらで読んでみてください。
概要
2003年にアーティストハウスさんから発行され、角川書店さんから発売された本です。
著者は1942年に東プロイセン(現ドイツ)で生まれ、1996年頃からお金を使わない生活を始めました。
お金が無いからではありません。
お金のために不安になったり、過度な労働をしたり、他人と不仲になったり、そういった社会の在り方に疑問を持ったからでした。
この「お金を使わない生活」を通して、著者自身にとって大切なものを再確認することにしたのです。
この本で学んだこと
著者の経歴
幼少期の体験
著者の生まれは1942年、すなわち第二次世界大戦の頃です。
1944年、著者が2歳の頃には、母親と祖母と一緒に東プロイセンから逃亡し西側に行きました。
このような状況ですから、著者の家族にはお金がありません。
それにも関わらず、避難してきた彼女たちを温かく迎えてくれた農家の人たちもいました。
著者の母親や祖母は、農家のお仕事を手伝う、というギブアンドテイクの関係が成立していたのですね。
この農家での生活は幸せだったようです。
お金以外のもので何かを相手に与えるという、いい事例ですね。
苦しんだ教師時代
若い頃、著者は何度も理想を求めては挫折する、という苦しみを味わいました。
例えば、今でこそ体罰は禁止されていますが、当時はそれが教育に必要だと思われていた時代です。
著者は体罰無しで教育をしようと奮闘しますが、学校では争いや憤懣が満ち満ちていて、改善することはありませんでした。
苦しみのあまり一度休職し、ブラジルでお店を営んでいる親戚の手伝いをしようとブラジルへ行きました。
そこで再び、スラム街で生きている人々の悲惨な状況を目の当たりにすると、心が痛んだそうです。
資源を浪費している国とこのような国の差があっていいのか、と。
しかし当時の著者には何もすることができませんでした。
このような苦しみが著者の心の中にずっとあり、きっかけをつかんで行動したのでしょう。
転機(学びなおし)
ブラジルで出会った男性と結婚し、著者は2児の母となりましたが、5年で離婚し、シングルマザーとして生活していました。
あるとき、息子さんが精神的に不安になり、ハンブルクにある研究所で治療を受けることとなります。
息子さんは学生さんと遊び、その間親(著者)は別の学生さんと話をする、という形式のものでした。
息子さんは回復しましたが、著者自身も心にしまっていた気持ちがあふれだし、新しい自分へと生まれ変わるきっかけとなったようです。
大学を出て教師となり、15年経った頃の出来事ですから、著者はおそらく40歳前後でしょう。
ここから再び大学の聴講生となって心理相談を学んだり、研究所でセラピストとなるための教育を受けています。
このような著者の経験があったからこそ、「ギブ・アンド・テイク・センター」が創設でき、その後のお金なしの生活もできたのでしょう。
お金以外のものを与える
1994年に、著者は「ギブ・アンド・テイク・センター」を作り、新聞記事にしてもらいました。
著者が52歳くらいの頃ですね。
「センター」とありますが、発足当初は決まった会合場所等があるわけではありませんでした。
「こういうことができます」という申告と「こういうことをしてほしいです」という要望を著者が電話で聞き、マッチングさせる、という仕組みです。
泥臭い作業ですし、相手は自分が与えるものを欲しがっていて、かつ自分が欲しい物を相手が持っている、という関係はなかなかありませんよね。
そこで今度は「1時間の仕事をしたら2ドッツ」という交換単位を決めて、センターで利用できるようにしました。もちろん、強制ではありません。
しかし、私が思ったのは仮に「1ドッツ=○○円」と成立してしまったら、それは一般的な労働市場と同じでは?ということでした。
私たちも自分自身の労働力を会社や組織に与えて、お金というものを受け取っているのですよね。
時代によっては、労働力を与えて、見返りが住居や食事の時もあったでしょう。
労働力の対価としてお金をもらうことで、使い道の幅が広がったんですね。
このように考えると、お金の優秀さに改めて驚きました。
なお、このギブ・アンド・テイク・センターは軌道に乗るまでにたくさんの困難がありました。
興味がある方は本書で詳しく学んでください。
お金を使わない生活
生活の方法
著者が行ったお金を使わない生活は「人の家で、家主の代わりに留守番をする」というものでした。
他人の家に住むのですから、自分の家は必要ありません。これで家賃や光熱費はかかりませんね。
食事はその家のものを使って料理をして食べていい、となっていたようです。これで食費もかかりませんね。
服などは貰い物で済ませ、こうしてお金を使わない生活を確立しました。
気になる需要ですが、ペットのお世話や、家族の介護で外泊ができない人、泥棒が怖くて誰かに家にいてほしい人など、留守を守ってくれる人を求めている人はそれなりにいたようです。
他にも日中におうちの困り事をお手伝いするようなこともやっていたみたいですね。
著者は「ギブ・アンド・テイク・センター」を作った人、として名前も知られていたため、依頼する側の人にも安心感があったのでしょう。
家を引き払っても、大きな問題もなく過ごすことができたそうですよ。
メリット(豊かな人間関係)
この依頼で出会った人の中には様々な人がいました。口うるさいおばあさんや、癇癪もちの子供たちなど。
著者が忘れられない思い出として挙げているものに、この老婦人(マルタ)とのやり取りがあります。
彼女は80才の半ばで、もう3年以上、寝たきりで、かすかに動かせる右腕以外は、ほとんど麻痺していた。(中略)
周囲の人、特に毎日の看護をしている娘に対して、命令をし、わがままを言っていた。(中略)
マルタは、とても気難しく、いつも怒り、悪態をついていた。(中略)誰もちゃんと私の面倒を見てくれない、が口癖だった。
ハイデマリー・シュヴェルマー. 食費はただ、家賃も0円!お金なしで生きるなんてホントは簡単. アーティストハウス, 2003, 119-120
さて、あなたはこのマルタのような女性の世話を依頼されたらどう思いますか?
もし「世話をしなくていい」という選択肢があるのであれば、その選択肢を選びたいな、と私は思いました。
やっぱり、お互いに気持ちよくいられる関係の人と付き合いたいですからね。
しかし、著者はお金がない生活をしていたためか、著者自身の信条なのか、週2回のマルタのお世話を続けていました。
マルタの愚痴を黙って聞くことで、マルタの娘さんの負担を少しでも軽くしようと考え、著者は愚痴に耐えていました。
するとある日、マルタは突然このような反応をしました。
ある日、彼女は唐突に言った。「あんたがいてくれて助かるよ」。(中略)そして彼女の右の目から涙がこぼれるのを見た。(中略)
マルタは、自分が母として失格だということ、娘が自分の落ち度のために今のようになってしまったと思い込んでいた。(中略)
それ以来、マルタはずっと親しみやすい老婦人になった。
ハイデマリー・シュヴェルマー. 食費はただ、家賃も0円!お金なしで生きるなんてホントは簡単. アーティストハウス, 2003, 120-121
マルタはずっと苦しんでいたのですね。
そして、本記事の転機(学びなおし)の部分で述べたように、著者はセラピストとして活動できるだけの能力を身に着けていました。
ですから、このマルタの苦しみを聞き、おそらく著者はセラピストの能力を使ったのでしょう、彼女を癒すことをしたのですね。
現代のようにSNSで価値観の近い友人と繋がれる時代では、このような「実はこんな人だったんだ!?」という驚きに出会えることはないでしょう。
このような経験をすることで、人は他人を見た目や第一印象で判断しなくなり、理解しようとするのではないかな、と思いました。
そう考えると、現代の人間関係の繋がりは、簡単に切れて楽な分、少し寂しい気もしますね。
困ったときはミラクル頼み
お金を使わない生活をしていたら、いざというときに困りそうですよね。
実際著者も「靴底が薄くなって新しい靴が必要」「シャンプーがもうなくなる」という状況に直面することはありました。
しかし、そんな時にはなぜかタイミングよく人から物をもらえるのだそうです。
こんな不思議な出来事は「年収90万円で東京ハッピーライフ」の著者も経験があるようです。
科学では証明できない不思議な出来事ですが、もしかしたら再現性があることなのかもしれませんね。
とはいえ、お金に執着をしない達観した人たちの境地のようですから、そんな簡単ではないかもしれませんね。
お金に執着しなくなったことで、お金や物の方からやってきてくれる、ということなのでしょう。
税金はどうする?
日本で生きていれば、住民税や所得税など、多くの税金がかかりますね。
そしてその税金があるからこそ、消防や警察、学校の先生方、市役所の相談員などが給料をもらえるのでしょう。
つまりここでも、私たちの労働をお金に換えて、別の人の労働を買っている、ということですね。
そこで著者は本書を執筆することで得たお金に対する税金を、著者の労働で支払いたいと市に相談しました。
つまり「労働(著者自身)→お金(税金)→労働(市の職員)」と通常であればお金を介して他の人に依頼すべきところを
「労働(著者自身)→お金(税金)= 労働(著者、市の職員代わり)」としたわけですね。
これを受け入れてくれた市もあった、というところに、市の懐の深さを感じました。
バランスが大切
著者は4年間、お金なしの生活を行った後、お金を少し使う生活にシフトしたそうです。
今までは「ビスケットが食べたい」と思っても、誰かからもらうのを待つしかありませんでした。
しかし、今はそういったものを買うことができます。このささやかな贅沢で幸せを感じているそうですよ。
もし今あなたが、普段の暮らしに満足をできていないのであれば、一度極端に低いレベルの生活をしてみることもいいかもしれませんね。
そうしたら当たり前の幸せに気づくことができるようになるかもしれません。
そんな経験があれば、上ばかりを見て苦しみながら生きるのではなく、今の幸せに感謝しながら生活できるかな?と思いました。
まとめ
お金は便利なものですが、お金のために苦しみながら生きている人も多いのではないでしょうか。
しかし、生活だけであればお金がなくともできますし、お金がないからこそ見えてくるものもあります。
お金とどんな距離感で過ごしたらいいか、お金のために生きていていいのか、改めて考えさせられる本でした。
おまけ:こちらも合わせて読みたい
「年収90万円で東京ハッピーライフ」
本書の著者も、お金のためにあくせくと働くことは辞めた方です。
しかし生活費はお金で賄っていますから、臨時支出が必要になることもあります。
そんな時は誰かが単発の仕事をもってきてくれて、お金に困ることはないと言っていました。
科学では証明できない不思議な出来事かもしれませんが、夢がありますね。
「ぼくはお金を使わずに生きることにした」
たしか今回紹介した著者の生活等を見て、自分も0円生活をしてみよう、と試みたイギリス人男性の話です。(※この本を読んだときの記憶が正しければ、ですが…)
彼は29歳と若く、貰い物のトレーラーハウス?のようなもので自給自足の生活を1年間行いました。
その1年間の生活(実験)を記録したのがこちらの本となります。
お金から離れることで得られる幸せもありそうですね。
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